浪速のビョークになりたかった

なりたかったけどなれなかった、でもそれでええんです

お絵かきについての反省と自問自答

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あんま絵を描くのが好きじゃない。

 

いやぶっちゃけ私はめっちゃ器用だ。その器用さたるや右手でトランペットを吹き左手でピアノを弾いたり、ガムの包み紙をさらに四分割したやつで鶴折れたりするくらい器用だ。

で、絵を描くって行為は器用な私のできることリストの中でも一番視認性に長けていて、良し悪し評価も付きやすいし人の目に付かせるのも手っ取り早い、よって人脈やお金も産みやすい。実にコミュニケーションツールとして有用だ。

 

…というのは社会人生活を経てからの価値観であって、ティーンエイジの私はふつうに絵で食っていきたい願望のある側の人間だった。

ていうか、自分には絵しかないと思っていた。

創作も二次も外タレファンアートもギャンギャンに描いていた。絵を描くことでしか自己を表現できないと思い込んでいて、消去法にて選んだ選択肢とも言えた。

でも幸か不幸かナマモノ・RPSの方には傾かず(見るけどね)、公式にタグ付けするタイプの「ワンチャン公式認知乞食」の方に育ってしまった。

 

どこで目が覚めたかというと、某イギリスのインディーバンドに私の描いた絵がガチで公式のSNSやブックレットで使われた時。

まず公式媒体で使うならなんか言えやと思った。

でも待てよ、そう思っても人様の顔面を勝手に絵に落とし込んでたのは私やし、バンド側に認知されちゃったのもホントに「(市場開拓できてない日本のファンとか珍しいでっしゃろ?と言った潜在根性が見透かされて)その為にそいつらの音楽聴いてた」構図を認めざるを得なかった、ようになってしまった。

いや気色悪いよ。自己表現なんかじゃない、こんなのオナニーと一緒です。

 

そんなティーンエイジを経て社会人になり公私に渡り様々な人間と交流を持つようになり、まあまあ人付き合いなり音楽制作なり仕事なりで別の自己表現の場を得た私は、案外絵描き行為はアイデンティティの核ではなかったんだな、と順応とも言える気づきを為した。

 

 

でも色々あって4年ぶりくらいにオープンのTwitterアカウントを作り、この1ヶ月ほどはアホほど絵を描いた。

理由としては中学時代の「自ジャンル」ことクイーン、当時もアホほどしょうもない絵描いていたから、始めは懐かしさから。

で、映画ボラプのセリフを引用するなれば「歳の割に悪くない」のがわりと描けると気付いちゃった。そんでもって、やっぱりそれなりに見てもらいたい気持ちはムクムクと。

あとまあ昔から所謂クイーンファンに思うところも色々あったので、私の絵をフックにしてその「思うところ」とやらを書き起こして読んでもらえたらええな、という下心満載で。あと他にも「このジャンル」に生息するという私の友人や、友達の友達を探しに、というオマケも。

…なんとも冗談で言ってたのに案外マジで全部実現されてしまった。なんてこったい。

 

そんなこんなで絵をフックに謎に自身のSNS世界が更に拓けた。上記の下心もとりあえず一頻りクリアしたわけでもう描く意義もないけども、何故かそれからもズルズルと絵を描いた。

不思議なもので(まあヒマなのもあるけど)ティーン時代の命削って自己表現のために絵を描いてた時のルーチンが戻ってきたみたいで、懐かしくてまあまあ楽しかった。

それよりもなにせコミュニケーションツールとしてこんなに有効なものないなと、500も1000もファボが伸び、どこぞの知らないどなたさん方が私の絵の中のなにかしらの話をしている。ああええやん、絵描くの楽しいやん。

 

まあしかし、根本的にあんまり絵描くの好きじゃないんだ。

 

 まずなんというか、いっとき音楽オタクの界隈で流行った「私を構成する9枚」なるタグも、そんな【ワイのファンアート、無事公式化】事件があってからは「ミュージシャンとか有名人とか知らんけど赤の他人に自分を構成されてたまるか」と思ってツバかけてた。無論音楽は大好きだが己とは切り離して人様の作品としての距離を保っていたいのだ。

 

絵描きもなんかまあ、一次創作なりで色々描ければいいものの、現状私のいる土俵は二次創作だ。

「赤の他人に自分を構成されてたまるか」と思っている以上、別に対象が好きで好きでその愛ゆえに描いているわけじゃないんだろうな、しかも絵を描くのが好きで好きでたまらないわけでもないし、少なからず序盤で触れたコミュニケーションツールとして、まあ言っちゃえば「伸びるから描いてる」って節あるよな、と思っちゃった。

 

 自覚しちゃうとげんなりするもんで、あーやっぱり自分の核に絵描き行為は無かったんだ、と。何も変わってない、「ワンチャン公式認知乞食」だったのが対象を変えて大手ジャンルオナニークソ絵描きに変わっただけだ、と。

 

まあでもモノを考えるのは好きなのだ。何か考えればアウトプットの媒体は必要だ。幸い絵はそこそこ描ける、だから描いてる。まあそれで良しとしよう。描くこと自体は好きじゃない、アウトプットの手段としてそこに行為があるだけだ。だからちょっと冷静にならなきゃいけない、承認乞食のままではいけない。

 

私は器用なのでもっと健全な自己表現のツールを色々持っている。また自己表現と称して他人の顔に土足で踏み入るような事をしてあのときと同じ轍を踏むくらいなら、少し頭を冷やしたい。私はこのままじゃ大好きなバンドを私物化どころか電マ扱いし続けてしまう。

 

というわけで4年ぶりの公開アカウントは楽しかった。絵を見てくれた人にもありがとうございましたと言いたい。これから忙しくなるので、仕事と気色悪い承認欲求に折り合いがついた頃またなにか描こうと思います。

 

by beshy